Krypf’s Diary

暇なときに書く

Pollini(ポリーニ)追悼 〜名盤をたずねて〜 "Etudes"

0. はじめに

直近の報道

Maurizio Pollini (マウリツィオ・ポリーニ) が亡くなった。 3 月 23 日、82 歳とのことである。 突然のニュースで心痛に堪えない。

マウリツィオ・ポリーニ氏死去 82歳 伊の世界的ピアニスト | NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240324/k10014400811000.html

www3.nhk.or.jp

思い出

中学〜高校生の頃、地元の Bookoff で Pollini のアルバムを手に取った。

初めて買ったのは、前奏曲集だったように記憶している。その後に買ったのが『練習曲集』そしてベームとのベートーヴェンの『協奏曲4番・5番』だった。

上京してからは、サブスクリプションで『ペトルーシュカからの3楽章』や、ベートーベンのピアノソナタ全曲集などを聴きあさった。

Pollini は青春時代以来常に私の心のそばにあった。

概要

ja.wikipedia.org

en.wikipedia.org

ポリーニの卓越したピアニズムは、その透徹したアタック、そして正確無比なリズムの刻みにある。 楽譜に描かれた音符の正確性と言う観点では、古今東西のピアニストのうち、紛れもなく世界一だった。 比類なきテクニックに裏打ちされたポリーニの音楽は、時に機械的と称されることもあるが、私にとっては唯一無二のリリシズムを感じさせるものであった。

彼が生前築いた圧倒的な音楽的世界観に敬意を表し、このページでは、ポリーニの主要な録音を紹介する。

1. Chopin

ポリーニのキャリアは、ショパンから始まった。ショパンコンクールで優勝した後、ショパンの数枚の録音を残し、舞台演奏に関して休業に近い状態に入ってしまう。70年代になって彼が残した名盤がショパンエチュード、プレリュード他の作品である。

ポリーニ以来、この名盤を超える演奏は(匹敵するものはあれ)出てきていない。

Etudes

今回は、分量の都合上、練習曲のみを取り上げる。全曲のプレイリストはこちら

作品10 フランツ・リストに献呈された。

  • 第1曲 ハ長調:英語名で滝と言うタイトルがついているように、まさに滝のような音列が 曲集の冒頭を駆け抜けていく。アルペジオの練習曲。 練習曲集の第1曲は、やはりポリーニの演奏でなくては聴けない、というほどに素晴らしい。
  • 第2曲 イ長調: やや不気味なメロディーと小気味の良い左手の和音が続く曲。途中、左手のベースに1度、主導権が移る。半音階の練習曲。ポリーニは、正確無比と言うほかない。
  • 第3曲 ホ長調:日本語名は『別れの曲』。主部の懐かしげなメロディーと中間部の激しい起伏の対比が、特徴的な1曲。
    • 他の演奏者に比べると、やや機械的でぎこちない印象も受けるが、しかし、やはりそこにはポリーニにしか出せないアゴーギクがある。
    • たゆたうようなリズムが、別れの曲の表現するある種の哀愁や動揺を支えている。
  • 第4曲 嬰ハ長調 4分の4拍子、アウフタクト1拍: 激情的で、怒りや恐怖を感じさせる1曲。発想記号は Con fuoco.
    • 取り立てて何のテクニックと言う特徴はないが、左手と右手のバランス・入れ替え、分散和音中のメロディー、 presto で弾くこと、などを 意図した練習曲だと思われる。
    • ポリーニの演奏では、中間部から主部に入る、左手の4連音符の動きが完璧。
  • 第5曲『黒鍵』 変ト長調: 黒鍵のためのきらびやかな練習曲。発想記号は brillante.
  • 第12曲革命ハ短調: 怒りや絶望が伝わってくる曲で、独立して演奏されることも演奏されることも多い。発想記号は Allegro con fuoco. 左手の激しいアルペジオに、オクターブのメロディーが乗っている。ポリーニアゴーギク少なめで、アタックの強い演奏。

他にも、第11曲 変ホ長調アルペジオの練習曲で全曲ほとんどアルペジオで書かれている。

作品25

  • 第1曲 変イ長調『エオリアン・ハープ』:両手のアルペジオの伴奏の中にメロディーを浮き立たせるための練習曲。GEBETHNER & WOLFF 版、BREITKOPF 版ともに伴奏の音符が小さく書かれている。
  • 第9曲 変ト長調『蝶々』:同じく変ト長調の『黒鍵』に似た可愛らしい曲。
  • 第11曲 イ短調『木枯らし』:冒頭2小節にテーマが提示される。速度は Lento → Allegro con brio. 6連の下降アルペジオと符点のメロディーでポリリズムになっているが、ポリーニが弾くと何がどう難しいのかわからないほどきれいに溶け合ってしまう。
  • 第12曲 ハ短調『大洋』:Allegro molto con fuoco. 確かに海のような感じがする。終曲にふさわしい雄大さを備えている。

個人的には 第12曲 を聴くと Scriabin の Etudes 終曲を思い出す。

(余談) Rubinstein と比較してみる

ここでポリーニよりも、1つ前の時代のショパンの第一人者アルトゥール・ルービンシュタイン (Arthur Rubinstein) と演奏を比較してみよう。

Rubinstein は 1887年、 Chopin と同じポーランドに生まれた。 ちなみに、ポリーニの優勝した第6回ショパン国際ピアノコンクールの審査委員長がルービンシュタインとのことである。

ポリーニルービンシュタインについて語る動画も残っている(字幕はドイツ語)

黒鍵の録音

黒鍵の録音(Pollini)

黒鍵の録音(Rubinstein)

モスクワのライブ映像

黒鍵の比較

黒鍵について比べてみよう。1

アゴーギクについて比較しやすいからだ。あと、感情面であまり音楽的解釈が入り込む余地がないので、いわゆる主観が発生しないから、形式的な比較はしやすいだろう。

楽譜は GEBETHNER & WOLFF 版 (以下 GW) 、BREITKOPF 版(以下 B)、フランス初版 MAURICE SCHLESINGER 版を参照した。

主部

  • 1小節目。冒頭の左手の伴奏形。楽譜上はすべてスタッカート。
    • Pollini は 1音目にアクセントがある。
    • Rubinstein は 2音目にアクセントがあり、3音目の音価を倍に変えている。 GW では 2 音目を頂点に クレッシェンドとデクレッシェンドあり。

このことから、ペダリングの表記も参照すると、Rubinstein は GW 版、Pollini は B 版か初版(あるいはそれに類する版)を読んだものと思われる。 2

従って、ペダリング音価)とアクセントについては GW と B の差異を考慮したうえで比較する。

  • 8 小節目 poco rall. 両者とも似たような感じ。
  • (9 小節目 に GW 版では forte が抜ける誤字がある)
  • Rubinstein は 13 小節目に forte に戻ってこない(楽譜を無視)。

中間部

17小節目から移行部【ブリッジ】(または中間部の入口)に入り、33 小節目 から短めの中間部である。

  • 33 小節目 forte 左手のベースの2部音符のバランスに関して、Pollini よりも Rubinstein のほうがだいぶでかい。Pollini << Rubinstein.

参考に、Rubinstein の 0:49 (https://youtu.be/tKiS1k3gQVc?t=49) がちょうど 49 節目の第2主部。

  • 55〜57 小節目 Rubinstein は クレッシェンドしない(楽譜を無視)。
  • 66 節目 delicato -> smorzando. 符点で遅くなるところ は、Pollini より Rubinstein のほうが揺れが大きい。

コーダ

3部形式ではあるが、67 小節目から実質的なコーダである。

  • 75 小節目 Rubinstein が 4分音符の音価を半分にしている(楽譜を無視)。ついでに poco cresc. ... forte も無視。

79 小節目からの演奏が大きく異なる。

  • Pollini はおおよそ B 版 の楽譜通りに弾いている。83 小節目の fortissimo にアクセントの頂点があり、最後の2小節(84小節〜)で ritardando を掛けて fermata が2〜3小節分伸ばされている。
  • 一方、Rubinstein は 80 小節目〜82 小節目にかけて、楽譜に反して デクレッシェンド をかけ、83小節目ではなく、84小節目の頭にアクセントがある。最後の2小節は a tempo に戻し、アルペジオはなく フェルマータ も 1.5 倍ほどしかない。

まとめ

Rubinstein は、ライブ版であることを差し引いても、おそらく楽譜を遵守するつもりはない。揺れは大きく、ショパンが書いた(解釈込みの)音以上に殊更に「解釈し」自由に「感情を発露させて」弾くのがショパン的であるとされていた時代である(必ずしも、昔の話と言うわけではない)。

決して、ルービンシュタインの演奏の価値が、ポリーニ解釈によって損なわれるわけではない。ルービンシュタインは、紛れもなく稀代のピアニストであり、類まれなる技術を持つ。 特にブラームス演奏は高く評価されている。

それにもかかわらず、ポリーニショパン演奏の鮮烈な粒立ち、正確さ、そして機械には真似できない微妙な揺れや間が、時代を刷新してしまったのだった。

n. おわりに

Pollini 追悼記事として、Etudes のアルバムを紹介した。次回は Preludes を取り上げたい。

その次は Polonaise や 他の作曲家を取り上げる。

黒鍵の他の演奏 については、以下のリンクを参照のこと。

wikipedia, External links

en.wikipedia.org


  1. Rubinstein はライブ版であることを一応差し引いて考える。
  2. GW 版にはペダリングデュナーミクについて、改変や誤りと見られる表記が散見される。