Krypf’s Diary

暇なときに書く

甘美と情熱の French music, 庄司紗矢香

9 月 25 日 サントリーホール大ホールにて行われた庄司紗矢香モディリアーニ弦楽四重奏団・ベンジャミン・グローヴナー来日公演の様子を記す.

庄司紗矢香

庄司紗矢香 (Sayaka Shoji) は日本を代表するバイオリニストである. 1998 年ケルン音楽大学に留学,1999 年パガニーニ国際コンクール優勝.現在はフランスを拠点にヨーロッパで活躍し,年に数度来日公演を行っている. 録音多数.協奏曲はパガニーニに始まりチャイコフスキーショスタコーヴィチベートーヴェンなど,室内楽プロコフィエフベートーヴェンソナタ全曲,モーツァルト,マックス・レーガーなど多岐に渡る.

Sayaka Shoji - Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Sayaka_Shoji

庄司紗矢香 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%8F%B8%E7%B4%97%E7%9F%A2%E9%A6%99

今回の公演

「フランスの風」と題し,

出演
庄司 紗矢香 Sayaka Shoji (ヴァイオリン, Violin)
モディリアーニ弦楽四重奏団 Quatuor Modigliani
ベンジャミン・グローヴナー Benjamin Grosvenor (ピアノ, Piano)

の演奏による広義のオールフランスプログラムで来日ツアーが行われた.

庄司紗矢香(ヴァイオリン)「フランスの風」モディリアーニ弦楽四重奏団ベンジャミン・グローヴナー(ピアノ) | クラシック音楽事務所ジャパン・アーツクラシック音楽事務所ジャパン・アーツ https://www.japanarts.co.jp/concert/p2032/

庄司紗矢香が満を持して取り組むショーソン
盟友と共に贈るフランス音楽の極み。

本ツアーのメインプログラムはショーソン Chausson

感想

席など前置き

前回庄司・カシオーリを聴いたのと同じ辺り RA 4列7番.

バイオリンの指向性上 f 字孔から音が飛んでいくので後ろに行くと音が聞こえにくい.
サントリーホールの反響を持ってしてもそれは避けがたいので,いい席はお金持ちが陣取っている(!)のである.

指向性というのは方向性による響きの特質で,例えばピアノならわかりやすく反響板があるし,クラリネットなどは円錐状に音が広がっていくと言われている.
残りは後述.

前回はバイオリンの真横少し後ろに当たる席で肝心のソロバイオリンが聞こえにくいという残念な経験をしたので今回も少し不安だったが,四重奏は配置からして音が広がるので心配していなかったし,ソロバイオリンもドビュッシーの一部だけくぐもって聞こえるだけで済んで安心した.

1曲目 武満徹:妖精の距離

7分ほどの小品.予習していてドビュッシーメシアンぽいと感じた.原詩があるというので読んでみたらラヴェルの『ダフニスとクロエ』を思い出した.
そして「小鳥」に導かれてまたメシアンを思い出した.

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全文 瀧口修造, 妖精の距離

うつくしい歯は樹がくれに歌った
形のいい耳は雲間にあった
玉虫色の爪は水にまじった
脱ぎすてた小石
すべてが足跡のように
そよ風さえ
傾いた椅子の中に失われた
麦畑の中の扉の発狂
空気のラビリンス
そこには一枚のカードもない
そこには一つのコップもない
慾望の楽器のように
ひとすじの奇妙な線で貫かれていた
それは辛うじて小鳥の表情に似ていた
それは死の浮標のように
春の風に棲まるだろう
それは辛うじて小鳥の均衡に似ていた


曲目解説に「透明」という文字が.シュールレアリスムといえばダリや武満も好きだったルネ・マグリットですが,確かに

麦畑の中の扉の発狂
空気のラビリンス

などは絵にすると透明感のある色になるのではなかろうか.

  • 曲想は常にバイオリンが主導する高弦のメロディーに対しピアノの幻想的な伴奏がフォローするスタイル.
  • メロディーが後半でトレモロに変化(へんげ).音楽(と奏者)のエネルギーとしてもこの辺りがクライマックスです.
  • ハーモニーは印象派に影響を受けたパステルカラーや少し濁ったぼやぼやした色の響き.玉虫色の爪 ですからね.

退廃的で甘美.静寂なる叙情.比喩である 慾望の楽器のように 死の浮標のように がまた意味不明さを添えている.

コンサートタイトルにもなっている重要なワードである「風」が 2 度登場する:

  1. そよ風さえ 傾いた椅子の中に失われた
  2. それは死の浮標のように 春の風に棲まるだろう

コンサートでは朗読の間に庄司さんとグローヴナー氏が抜き足差し足で登場.明転して武満のもよもよとしたメロディーを奏で始めるという演出.

朗読大好きなんですが,庄司さんが推し進めている芸術表現の統合・両立という理想の体現の一つにも感じました.

雑記

絵画表現としてはチェンソーマンの地獄のような絵になるのではないでしょうか.
涼しそうだけど,太陽のような光は感じない.
樹や雲や水はあるようで,草も生えていそうに思えます.
(多分ちがうと思いますが枯山水という解釈もできます)
カードやコップはないようです.人もいなさそうです.
傾いた椅子と扉が気になりますね."小鳥の均衡"はもっと謎です.
ちなみに,椅子と扉といえばラーメンズが唯一コントで使っている小道具と大道具です.
(正確には四角い箱と四角い穴で,その時時で解釈する.が,だいたい座るものか,入口・出口)
彼らは「雀」というタイトルで公演をしたこともあります.
その中の「雀」という作品は,愛鳥に見せかけて実は鳥ではなく・・・というお話.
「非日常の中の日常」が彼らのコンセプトです.
もしかしたらシュールレアリスムなんでしょうか.
"楽器のようなひとすじの奇妙な線" から着想して武満はバイオリンを選んだのでしょうか.

2曲目 ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ

晩年のドビュッシーを代表する一作.

Six sonatas for various instruments - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Six_sonatas_for_various_instruments#Sonata_for_violin_and_piano

庄司さんのドビュッシーを目の黒いうちに聴けて満足しました.
ライブ録音出してくれないかなって感じ.
本場のラ・フォル・ジュルネが日本にそのまま来てくれたみたいなもんですよ.

ドビュッシーを聴いているうちにさっき聴いた武満では聴こえない音が一切なかったことに気づく.おそらく高弦だからなのでしょうが,武満の計算だったらすごいですね.

始まり方と終わり方が奇妙な感じがする1曲だと思っています.もちろんわざとなんでしょうけど.

このあたりでピアニストのペダリングが長めなのではないかと思い始める.あとで居酒屋で先輩に訊いたらやはり「そうだった」と言う.

3曲目 ラヴェル弦楽四重奏曲ヘ長調

カルテットにバトンタッチ.

管弦楽の魔術師の書いた最も小さいオーケストラ.

  • 第1楽章 風の通り抜けるような第1主題.ソナタ形式.循環形式.
    • 第2主題は ニ短調 (平行調).練習番号も D.
    • 練習番号 E で循環主題を弾きながら変ロ長調→変イ調→変ト調 (Fis) →ホ調 → ニ短調に解決.全音下げの進行なんて上手くやるなと感心.
    • F - H: 展開部.
    • Tempo primo: 再現部.M: 主調で第2主題.
    • un peu plus lent: C# -> B -> A -> G -> Lent: F に解決, Coda.
  • 第2楽章 スケルツォ(とは書いてない).ピツィカートの主部.チャイ4を彷彿とさせる.
  • 第3楽章 緩徐楽章.循環主題.
  • 第4楽章 Rondo(とは書いてない). Finale. 5/8 拍子. 大まかには A - B - A - B - A - B - A (- Coda), ただし A がロンド主題,Bで第1楽章の第1・第2主題.

雑記

1. 第1・第2バイオリンで同じモチーフを分担して引く箇所があるのですが,もちろん息ぴったりで良かったです.
2. 生で聞くと意外と 8.6. (6/8 拍子) なんだなと思った.
3. 寝る時の音楽を収集しているのだが,寝る時に使えそうかも.
4. これもリズムだが意外と5拍子から外れるなと感じた.楽譜を見ると 3/4 らしい.

スタンダードで堅実な演奏だった.満足.

4曲目 ショーソン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲 ニ長調 Op. 21

変わった編成(芸術家に言わせればそんなものはない・・・?)の大曲.
演奏時間およそ40分.

四重奏がソロと伴奏との中間的,絶妙な立ち位置でヴァイオリンとピアノを迎え,大団円.

この曲の解説は身に余るので Wikipedia に任せます.珍しく日本語がめちゃくちゃ詳しい.

Concert for Violin, Piano and String Quartet - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Concert_for_Violin,_Piano_and_String_Quartet

ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%80%81%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%81%A8%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2

  • 第1楽章: 重々しいユニゾンの開始が特徴的.Rachmaninoff, Borodin, Franck 等の重々しい開始に触れていない聴衆はこの時点で踵を返してしまいそうです (・∀・)イイネ!!
  • 第2楽章: フォーレで有名な形式のシシリエンヌ.たゆたうような 6/8 拍子.
  • 第3楽章: 終始半音進行のピアノが不気味でしかないが,しっかりと曲に仕立ててくるのが凡人と違う所👍
    • フランス音楽特有のけだるさでとにかく何を言っているのか分からない.エスプリと香水とワインの国,フランス.
  • 第4楽章: Shostakovich もびっくりの凄まじくテクニカルな主題で幕を開ける.
    • それでもぴったりユニゾンかましてしまう庄司さんとピアニスト・第1バイオリンに脱帽.

詩曲しか聴いたことありませんでしたが,この曲も情熱的な曲です.年々音が情熱的になる庄司さん,大人の色気という雰囲気漂う情熱的な今回の Chausson, 彼女がフランス音楽演奏の理想を追求する姿に見惚れてしまいます.パッセージの優雅さは言うまでもない.

概観とすこし音楽史

概観

円熟について

よく音楽や演劇の世界で言われる「円熟味」という言葉を庄司さんに捧げて良いものか,いささかためらう所もある.ちょうど40歳という節目で,音楽界ではいわゆる「若手」なのかもしれない.そもそも常に若々しい方なので,無論ここではそういう「まだ早いのではないか」といった次元の意味ではない.

1 つには彼女の音楽は 20 代,更に言うと10代のうちに完成されているので,今更「ますます良くなった」という表現は一部当たらない感じがするから.

2つ目に,それすらも凌駕して Sayaka Shoji が別次元に進化していることは間違いないから.加えてそれは求道的練磨の賜物であって,常に上へ,新鮮に,という志向で働いているように聴こえる.

つまり,よく言われるような年を経て柔和に,まろやかになり味わいやすくなった・・・という代物ではないのである.例えば,Mozart では Mozart にしか分からなかった悲哀を,Beethoven では空前絶後の革新的な解釈を表現し,Debussy では絹の翼で空を駆け回るような音で誰よりも楽しんで見せる.(演奏中時々足を浮かせるのが改めて印象的だった.楽しんでいるのか・・・演奏技術なのかもしれない)

料理に例えると,Sayaka Shoji はいわば,フレンチでもイタリアンでも和食でも,求められた料理=音をなんでも出せるシェフなのだ.

誰にも到達し得ない領域に到達し,鋭く,それでいて柔らかく,技術もより巧みに,Sayaka Shoji はむしろ「どんどん聞きにくい」音楽家へと,果てしなく磨かれているのではないか.

だから円熟味というものがややしっくりこない.

もはや未来永劫「円熟しない」のではないかという見込みさえある.

音楽の新しさについて

フランスといえばアヴァンギャルド(前衛)という言葉も思い出す.
Sayaka Shoji の音楽+絵画・演劇の取り組みは芸術分野の枠を壊すというより,むしろ接着空間(か商位相空間)において商位相の構造を導入するように,枠をつなぐことで新たな音楽空間を創生しているともいえる.

例えば武満の場合,朗読を「前振りとして」「音楽が始まる」のではなく,作曲家の琴線に触れた有りようとしての芸術 --- 詩 --- を楽章間記号でいうところの attacca で繋げそのまま曲を始める.それが一つの新たな「音楽」となる.

(Attacca では枠が壊れているのではない.壊れていたら次の楽章に行けない.楽章 A, B が繋がっているからそこで境界がなくなっているだけなのである.例は熱情.)

まとめ

以上のような意味で,音楽の体現者たる庄司紗矢香は常に「先鋭」であり続けるだろう.

Chausson と Franck

時間もなかったので,あえて1回程度しか聞かずにライブ感を楽しもうと腹を決めていた Chausson. フランス語なので何を言っているのかは全く分からないが,4楽章(の後半)を聴いている時に,はたと「Franck と似ているのではないか !?」と気づき始めた(なぜ).

全曲の構成といい 4 楽章の構成といい主題の清澄さといい和音の響きといい,なんだか Franck の交響曲に似ている.そのようなものとして理解すればある程度いけるのではないか.
そう思っていたところ帰宅して調べると,Chausson は Franck の弟子であるばかりか緊密な関係にあったと言うではないか.なるほど.

Ernest Chausson - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_Chausson
César Franck - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/C%C3%A9sar_Franck

フランス音楽史では普仏戦争と国民音楽協会が重要な影響を与えています.普仏戦争については次の Brahms にも大きな影響を与えました.

DvorakBrahms

これと似た経験を DvorakBrahms でもしたことがあって Dvo 7 をラジオで初めて聴いた時「なんだか Brahms に似ているな」と思っていたら曲間に解説者が Brahms の影響を語ってくれた.

らららクラシックを見たり大学に入ってから伝記を読んだりすると,DvorakBrahms に見出された弟子であるという強固な関係までわかった.

(残念ながらその解説者@ N響定期公演第1776回が誰かは調べたが出てこなかった)


ちなみに 第 2 主題が Brahms のピアノコンチェルト第 3 楽章の主題の引用だと知人が気づいたのですが,たぶんそうです.

ドヴォルザーク交響曲第7番ニ短調 作品70 B 141 (スコア付き)https://youtu.be/AkVFq1I7sik?t=154
Brahms Piano Concerto No. 2 in B-flat Major, Op. 83 (Zimerman) https://www.youtube.com/watch?v=tWoFaPwbzqE&t=1694s

(D - C) - (Eb - D) - C - Bb - A - G - F のあとに Dvorak の場合は F - G - F - G という違うモチーフをくっつけて繰り返しています.

これが第2主題なのは

  • 調性の観点から見ると【平行調下属調変ロ長調】が再現部で【主調】
  • ヴァイオリンで受けて反復して第1主題とともに展開部で展開している

ことから分かります.

符点リズム下降や響きなど,どう聴いても影響が感じられるブラ 3 と合わせて,作曲年代は

  • ピアコン2: 1878-1881
  • ブラ3: 1883
  • ドヴォ7: 1885

なのでありえない話ではないです.

Dvořák (気分で変換) は 8 番で Brahms の影響から脱し独自の音楽世界を作ると言われています.それ以前は,ハンガリー舞曲とスラブ舞曲(いわゆる売れ線)などに見られるように音楽の根本から繋がりが強い2人です.

あまり師弟関係に首を突っ込みすぎると裏事情も始まり(SchumannBrahms など)きりがないのですが,Chausson は Franck にかなり強い影響を受けていたのではないでしょうか.

おわりに

指向性について補足

(f 字孔がなぜ f の字なのか議論がある,が,普通に造形ではないでしょうか)
(なお,本当に f 字孔が指向性に寄与しているかについても議論があります.ただ,穴が空いていたらそっちから音は出ていくだろう,と感覚的には思います)


クラリネットの指向性の一例としてこのような響き方をするようです.
https://blog.goo.ne.jp/clshin/e/8c050815eacb5fdfc1fd8beb83d70cb5
近代のコンサートホールの発達について語られる事の多い音の届かせ方ですが,楽器を動かす・振ることには一定の合理性があり違う場所にいる観客に音を届かせる効果がある,と言われています.一番わかり易いのはホルンのベルアップで,クラリネットオーボエも時々ベルアップをする.
バイオリンに関してはこれに加えてビブラートも議論されることが多い.サントリーホールでは残響が天井や壁から跳ね返ってくる(?)気がするので時々それを楽しんでいます.
この論文によるとバイオリンの指向性は簡単に言うと「上手いほど上と前に音が飛ぶ」そうです. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jacc/60/0/60_8/_pdf/-char/ja

おまけ

サントリーホール正面玄関で有名音楽家の方を見かけました.きらクラでお馴染み(遠藤)まりへい師匠が君付けしている方で,名前の通りとてもお優しそうな方でした.

最後に一言

私にとって美しい音楽こそ生きる希望です.庄司さんの音楽が希望そのものであるのです.