Krypf’s Diary

暇なときに書く

ジョン・ロールズ『正義論』を読む 1 〜第32節 自由の概念〜

ジョン・ロールズ

アメリカの哲学者・政治哲学者。自由主義の立場から公正・正義を論じた。

John Rawls - Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/John_Rawls

John Bordley Rawls (/rɔːlz/;[3] February 21, 1921 – November 24, 2002) was an American moral, legal and political philosopher in the liberal tradition.[4][5] Rawls has been described as one of the most influential political philosophers of the 20th century.[6]

代表的著作『正義論』から抜粋して彼の正義哲学を読み解いてみたい。

https://giuseppecapograssi.files.wordpress.com/2014/08/rawls99.pdf

正義論

『正義論』は 1971 年に John Rawls が著した政治哲学書。正義・自由・平等を社会契約説の観点から560 ページにわたり論じている。

A Theory of Justice is a 1971 work of political philosophy and ethics by the philosopher John Rawls (1921–2002) in which the author attempts to provide a moral theory alternative to utilitarianism and that addresses the problem of distributive justice (the socially just distribution of goods in a society). The theory uses an updated form of Kantian philosophy and a variant form of conventional social contract theory.

en.wikipedia.org

32. THE CONCEPT OF LIBERTY

読みたい節から読んでいきますが、今回は32節を取り上げます。第32節で、自由を法・権利・義務の制度として定義することが語られます。

For the most part I shall discuss liberty in connection with constitutional and legal restrictions. In these cases liberty is a certain structure of institutions, a certain system of public rules defining rights and duties. ---John Rawls, A Theory of Justice, p. 177

ほとんどの場合、私は自由を憲法上および法律上の制限と結びつけて論じることにする。このような場合、自由とは一定の制度構造であり、権利と義務を規定する一定の公的ルールシステムである。

次の文では Hume の自由(意志)への考えから影響を受けていることが見て取れます。

Set in this background, persons are at liberty to do something when they are free from certain constraints either to do it or not to do it and when their doing it or not doing it is protected from interference by other persons.

このような背景から、人が何かをする自由があるのは、それをするにもしないにも一定の制約がなく、それをすることもしないことも、他の人からの干渉から守られている場合である。

次の段階で、このような意味における自由に関して、自由の不平等の存在とその調整を論じます。そして自由と自由の価値を区別した上で、格差の問題に言及します。

Freedom as equal liberty is the same for all; the question of compensating for a lesser than equal liberty does not arise. But the worth of liberty is not the same for everyone. Some have greater authority and wealth, and therefore greater means to achieve their aims.

平等な自由としての自由は万人にとって同じであり、平等でない自由を補うという問題は生じない。しかし、自由の価値は万人にとって同じではない。ある者はより大きな権限と富を持ち、したがって目的を達成するためのより大きな手段を持つ。

そして以下のように結論づけます。(正義の原則は A Theory of Justice - Wikipedia を参照。)

Taking the two principles together, the basic structure is to be arranged to maximize the worth to the least advantaged of the complete scheme of equal liberty shared by all. This defines the end of social justice.

(正義の)2つの原則を合わせて考えると、基本的な構造は、すべての人が共有する平等な自由という完全な仕組みの中で、最も恵まれない人々にとっての価値を最大化するように配置されなければならない。これが社会正義の目的である。

このような平等への考え方に当然批判も予想されます。そこで私自身の見解をまとめておきます。

  • Rawls は自由を公的制度や不干渉の観点から定義しており完全に公的だが、私は個人の欲望が定義にとってより本質的だと考えている。だから完全に public な領域については論の共通部分がない。
    • Hume 的側面(するか、しないか)の説明は同意する。
  • 自由の価値 (the worth of liberty) についてはまだよく分からない。特に、Rawls が何故自由と分けた上でその不平等を是認するかのような説明をするのかわからない。1章の正義の節をよく読む必要がある。
  • 社会正義の目的について、Rawls の論の展開は認める。しかし、私の考えでは正義より先に自由の概念があり、正義は個人の自由を社会という領域に拡大したものであるので、そもそも究極的(客観的)には正義に目的はない。
    • 個人の欲望に目的があるとすると(cf. 目的因)現実的には正義の目的はあるが、格差の解消に「価値」は介在しない。少なくとも、自由の価値と自由を区別して論じている意味がまだ分からない。
    • 欲望の目的について、例えば「人間は生殖をするために生まれてきた」だから「人を愛するのだ」とさも人間や人類の究極的な目的があるかのように語られることがある。しかし個人がこのような客観的な目的の下になにか行為しているとは私は考えない。
    • 個人は個人的欲望または感情を持ち、目的的もしくは無目的的に行為する。平等とは個人の相対性のもとでの責任の対等性である。だから理想的には不平等は原理的に生じない。とはいえ現実には存在してくるから、それを「調整」するのが自由という概念である。
  • Rawls は正義の概念を一つの社会の「内に向いた」ものと捉えているようだが、私は他の社会という「外に向けた」ものだと考えている。だから正義に「調整機能」がもしあるとすれば、それは個人の自由に対してではなく、他の社会との間に働くものでなくてはならない。
  • 一つたしかに言えることは、Rawls の語る社会正義の目的は、新自由主義あるいは小さな政府の立場とは決定的に対立するものであると言える。

次の節から個別具体的自由を分けながら論じることを述べ、節が締めくくられます。

In the next sections I discuss the first principle of justice in connection with liberty of conscience and freedom of thought, political liberty, and liberty of the person as protected by the rule of law. 次(から)の節では、正義の第一原則を、良心の自由、思想の自由、政治的自由、法の支配によって保護される人身の自由と関連づけて論じる。

まとめ

アメリカの哲学者 John Rawls の書いた『正義論』第32節を取り上げました。自由を権利と義務の公的制度、また行動の制限がないことと位置づけた上で、個人の自由は平等であり、社会正義は自由の価値を、最も恵まれない人々にとって最大化すべきであると論じられています。